僕らは保護されている

『日本人はなぜ保護されているのに勝負しないのですか?』

不意に投げかけられた外国人青年からの言葉にドキッとさせられた。

『決断が遅い』『慎重すぎる』『若者の覇気がない』そんな言葉は何度も聞かされていたが、『保護させている』なんて指摘を受けたのは初めてだ。

彼は日本語が堪能で日本だけでなく国際事情にも詳しい。

その彼がまじめな顔で、『私は日本人になりたい。なぜなら日本の社会保障は世界有数で、事業に失敗して財産をすべて失っても生きていける保障があるから。』というのだ。

さらに『私の国を含め殆どのアジア諸国では、お金がなければ餓死する人もいます。公的な保証がないわけではないけれど、最低限の生活すら守ることができません。』とも言った。

私は正直、こんな風に考えたことはなかった。

いや、日本の社会保障が充実していることや、生活保護のことは仕事がらよく理解しているほうだと思う。しかし、それが先の質問とリンクしなかった。

私は『日本人は保障があるから勝負する必要がないという事かもね』と言いながら、これは答えになっていないなと考えた。

『死なないからリスクを取れと教わらなかった』というのが本音だ。

経済成長を知らない団塊ジュニア世代以降にとって、対前年100%は十分評価に値する成績だったから、生きるか死ぬかを左右するような大きなリスクをとったことなんてない。

少子高齢化による環境の悪化や将来への漠然とした不安を感じていながら、それを『しかたのないもの』として来た。

はたして仕事が生死に繋がっていると感じたことがあっただろうか?

なんてこった。

私は牧場の羊みたいに保護されている事に気が付かないでいたのだ。