もうすぐ世界遺産!富岡製糸場へ行って来た

富岡生まれ富岡育ちでありながら、数回しか入った事の無い富岡製糸場ですが、いよいよ21日に世界遺産登録となりそうです。

私の周りでもお店を改装する人や新しい商品を売り出す人も出だして、みんなちゃんと準備してたんだなぁ、なんて感心していたら、ウチの娘が『こども解説員』やるって言うじゃないですか!?

これは激混みになってしまう前にパパもちゃんと見てこなくちゃ!という訳で行ってきました富岡製糸場!!

伊勢屋 お土産店

 袴の店員さん 古民家カフェ

近所に車を止めて少し歩いてみたのですが、古いお店はほんの数軒で、しばらく通らない内に知らないお店やお洒落なお店が増えたなぁ。

工事中の場所も沢山ありますから、これから賑やかになるんでしょうね。

 世界遺産前

製糸場入り口にはまだ『史跡 重要文化財』と書かれた看板が掛かっていましたが、21日に登録されたらこの看板も変わる事でしょう。そう考えると中々貴重な1枚。

チケット売り場の隣、検査人館には製糸場課が入っていて超忙しそう。

  現在は製糸場課の事務所 女工館

 和洋折衷これぞ和洋折衷

解説員さん 見学ツアー

今日の目的はボランティア解説員さんの話を聞く事だったので9:30からの回に参加、冗談を交えながらの楽しい話に40分があっという間でした。

大杉の一本柱

フランス積みじゃないよ
フランス積みじゃないのもあるって知ってた?

  『柱は杉の大木で妙義から切り出した』とか、『このレンガの積み方はフランス積みといい、瓦職人さんが作った』とか、

 窓 診療所

『日本で入手できなかったガラス等は全てフランスから運んだ』、『診療所が有り無料でフランス人医師の診察を受けられた』などなど、もっともっといい話が沢山ありましたので皆さんも富岡製糸場へ来るなら解説(無料)は必ず聞いてくださいね。

ブリュナ館2 ブリュナ館

繰糸場 倉庫裏 

西倉庫 飾り窓

展示所 売店

秤

富岡市のオススメスポット「一之宮貫前神社」

富岡市民が教えるオススメスポット2

第2弾にしてこんな有名どころというのも恐縮ですが、宮司さんに伺ったところさほど観光客は増えていないそうなので、観光客の皆さんは知らないのかもしれないと思って紹介ビデオを作りました。

一之宮貫前神社は境内が門より下にあって、一度上がって下がるというロケーションが珍しいそうですが、これはもともと参道が反対側にあり、北向きだったことが理由なのでそうです。
創建当時近畿との交流には富岡から北へ向かい磯部を通って松井田へ抜けるルートが一般的でした。物部氏がここより北に数キロ離れた現在の安中市鷺ノ宮に氏神を祭りその南方に社を定めたと伝えられていることからも、北向きだったことは間違いないようです。

ではなぜ今のように南から上がって下がる形になったのか、じつはこれ「近道」なんだとか。

由緒正しい神社ですからとてもちゃんとした理由があるのかと思ったら、神社の南側地域の人々が丘を迂回せずに丘を登って近道をしているうちに時代も変わり、南側が正門となった。

ということだそうな。(これは噂話ではなく宮司さんから伺った話です。)

こんなことどこにも書いてないでしょ?

富岡市ネタでクイズを作るときがあったらネタにしてください。

さて、個人的に見て感じていただきたいのは御祭神の姫大神と西暦531年建立という日本の創世記に当たる時代から続く物語です。

専門家ではありませんので詳しいことは割愛しますがこの地は綾女谷と呼ばれる土地だったそうで、富岡周辺では弥生時代の地層から紡錘車(糸をつむぐ道具)が多数発見されていることなどから、富岡製糸場ができるはるか昔から養蚕が盛んな地域であったことがわかります。

建立から100年の後には不思議な伝説を持つ「羊太夫」が力を持ち朝敵とされたり、平安時代には各地に生糸の市が立ち群馬県の生糸が都へ運ばれたとか。このようなことを子供のころに教わっていたら、きっと郷土の歴史についてもっと興味と誇りを持つことができたはず。

歴史の教科書には大和朝廷と近畿地方の事ばかりが書かれていますが東国に栄えた古の文化について、富岡製糸場とともにスポットが当たることを願っております。

*撮影にあたり宮司さんから許可をいただきました。観光で訪れるかたは撮影していい場所とダメな場所がありますので、ご注意ください。

地理と歴史から学ぼう

毎日新聞の記事に今回の津波と古い街道のことが書かれているのですが、とても興味深く考えさせられる内容です。

https://mainichi.jp/photo/news/20110419k0000e040095000c.html リンク先が削除されました。

要約すると、過去の経験から古い街道のすぐ脇まで津波が来たものの、街道も宿場町も殆ど無事だったと言う内容で、地図上で見るとまさにピッタリ!津波の到達範囲を予想しているかのようです。

明治以降忘れ去られてしまった先人達の知識と教えが、現代人の奢りを正す事例ではないでしょうか?

私は、地域で消防団活動をしているのですが、ほぼ毎年台風の時期などに大水が出て土嚢積みに駆り出されます。

その時被害に遭う家々と地域は毎年殆ど同じで、実は水が出る場所は決まっているのです。

にもかかわらず、そのような場所が日本中で宅地として販売されています。

実家が側にあったりすると情報が入るでしょうが、知らずに引っ越して気が付けば周囲の家々が皆50cmも土を盛っていたなんて事になったら・・・。

川の流れも道路によって本来の流れを変えている場合もありますし、その結果、元々川だった場所が水田になり、いつの間にか宅地になっていたりするので、

この記事にある海辺の街も、過去の津波で壊滅的な打撃を受け、津波の来ない場所に折角町を作ったのに、段々忘れてしまったのでしょうね。

そう言えば沖縄には 大宜味村字津波なんて場所もあります。
地名としてしっかり残しておくとか、街の条例として宅地の許可を出さないとか、もう2度と同じ事を繰り返さない工夫をして貰いたいものです。

地元の防災は地元でルールを作りましょう!