富岡市民が教えるオススメスポット2
第2弾にしてこんな有名どころというのも恐縮ですが、宮司さんに伺ったところさほど観光客は増えていないそうなので、観光客の皆さんは知らないのかもしれないと思って紹介ビデオを作りました。
一之宮貫前神社は境内が門より下にあって、一度上がって下がるというロケーションが珍しいそうですが、これはもともと参道が反対側にあり、北向きだったことが理由なのでそうです。
創建当時近畿との交流には富岡から北へ向かい磯部を通って松井田へ抜けるルートが一般的でした。物部氏がここより北に数キロ離れた現在の安中市鷺ノ宮に氏神を祭りその南方に社を定めたと伝えられていることからも、北向きだったことは間違いないようです。
ではなぜ今のように南から上がって下がる形になったのか、じつはこれ「近道」なんだとか。
由緒正しい神社ですからとてもちゃんとした理由があるのかと思ったら、神社の南側地域の人々が丘を迂回せずに丘を登って近道をしているうちに時代も変わり、南側が正門となった。
ということだそうな。(これは噂話ではなく宮司さんから伺った話です。)
こんなことどこにも書いてないでしょ?
富岡市ネタでクイズを作るときがあったらネタにしてください。
さて、個人的に見て感じていただきたいのは御祭神の姫大神と西暦531年建立という日本の創世記に当たる時代から続く物語です。
専門家ではありませんので詳しいことは割愛しますがこの地は綾女谷と呼ばれる土地だったそうで、富岡周辺では弥生時代の地層から紡錘車(糸をつむぐ道具)が多数発見されていることなどから、富岡製糸場ができるはるか昔から養蚕が盛んな地域であったことがわかります。
建立から100年の後には不思議な伝説を持つ「羊太夫」が力を持ち朝敵とされたり、平安時代には各地に生糸の市が立ち群馬県の生糸が都へ運ばれたとか。このようなことを子供のころに教わっていたら、きっと郷土の歴史についてもっと興味と誇りを持つことができたはず。
歴史の教科書には大和朝廷と近畿地方の事ばかりが書かれていますが東国に栄えた古の文化について、富岡製糸場とともにスポットが当たることを願っております。
*撮影にあたり宮司さんから許可をいただきました。観光で訪れるかたは撮影していい場所とダメな場所がありますので、ご注意ください。